オンリーワンな八百屋を目指して
紺地に「佐藤青果店」の白文字がキリリと描かれた暖簾、白壁のオープンな店内には木製ラックに入った野菜や幅広いジャンルの食材がすっきり並べられています。昭和7年創業の青果店という老舗の重みをいい意味感じさせません。「新しいビジネスを始めたつもりです。」とは3代目の佐藤五一さん、5年前に店を継ぐにあたり「佐藤青果店」のイメージを思いっきりシフトチェンジさせました。
幼い頃見ていたのはトラックで運び込まれた野菜の段ボールが店頭に積み上げられ、天井から吊り下げられたザルからお金がやりとりされる活気あふれる光景、たまにお父さまや若い店員さんに早朝の市場に連れて行ってもらえることも遠足のようでワクワク。しかし年齢が上がるにつれ、その労働の大変さに気づくと同時にまちの個店の経営の厳しさも目の当たりにし、迷わずサラリーマンの道へ。建築設備や美容関係の営業マンとして永年働くなか、サラリーマンならではの苦労も経験、気持ちに変化が生まれてきたそうです。
「昔、営業の先輩に言われた『売れないんじゃない、売れることをしてないだけじゃないかな』という言葉がずっと心の奥にありました。八百屋も同じ、モノが売れない時代だからこそ、逆転の発想を持って何かを始めればチャンスがあるんじゃないかと。店のこともどこかで気になっていましたし、自分で定年を決めて自分の責任で気が済むまで働く方が性に合っていることも気づきました。やっぱり、商人の息子だね(笑)」
永年の得意先である保育園や小学校、高級レストランへ納品してきた選りすぐりの仕入れ品に加え、あらたに全国20軒の農家より減農薬、無農薬など安全安心に特化した商品を直接仕入れ、販売しています。モットーは野菜のみならずお客さんに喜ばれる美味しいものを売ること。美容師である奥さまが持ち前のセンスを生かして美容と健康にこだわり開発したオリジナル商品などもラインナップしています。
一般的な八百屋と一線を画しているのはこだわりの品揃え、そして店長の宮島幹夫さんの存在。野菜や自然食品の豊富な知識を提供しながら、品選びも会話も楽しめる買い物空間をつくり出しています。佐藤さんの思いを宮島さんのアレンジで具現化しています。
「宮島くんとの出会いも大きかったです。いいモノだけを提供したいという同じ信念を持っているから店づくりも任せられます。『佐藤青果店の商品はどれも間違いない』というお客さんの評価がやりがいです」
人が好きだから商売も楽しい
創業50年の「日の出電機 三軒茶屋店」は、「まちの電気屋さん」の大切さを改めて教えてくれる店。「2019年度 世田谷キラリ輝く個店グランプリ」のグランプリを受賞した名店です。お客さんの心をがっちり掴んでいる店長の駒形真一さん、横浜市内のご自宅から毎日愛妻弁当持参で自転車通勤をしています。前店に28年勤務、太子堂に赴任して6年ながら地域で「家電のことは駒形さんに」と頼られる存在になりました。
「担当者としてまずは『駒形さんでいい』、次には『駒形さんがいい』、そして『駒形さんじゃなきゃダメ』って思ってもらわないとね。他店でも売っている同じ家電をここで購入していただくには、ウチで買う価値があることを信用していただくことです。その信用をご縁にして長くお付き合いをさせてもらっています」
楽しい会話から家族構成や生活環境も伺い、専門知識と豊富な経験を武器に最適な家電を提案します。もちろん、アフターフォローも万全。次からは「〇〇を買い換えたいから駒形さんが選んで」と言ってくれるお客さんがたくさん。親子やご親戚、お知り合いに口コミでつなげてくれるお客さんが店を支えてくれているそうです。新入社員時分に販売したご家族のお子さんが成長して家族を持ち、20年後に家電を買いに来てくれたり、永年お付き合いのあった方の家族葬に招かれ恐縮しながら参列したことも。「まちの電気屋さん」冥利に尽きる温かいエピソードにあふれています。
家電は購入のスパンの長い商品、お客さんとのご縁を途切らせないよう月に1度、家電に囲まれた店内を会場にイベントを開催しています。風水、音楽会、落語、料理教室など、その講師もまたご縁で繋がった皆さんに依頼しています。年に1度は工場見学のバスツアーも開催しています。また、店内に無料でお客さんの手作り品のを展示コーナーを設け、売上はそのままお客さんへ。昨年の社屋の建て替え中には「日の出通信」を毎月発送し、工事の進捗状況をお客さんに伝え続けました。きめ細やかで温かいサービスを超えた心遣いで地域コミュニテイをもつくっています。
「頼ってもらうこと、喜んでもらうことが商売の醍醐味。我ながらこの仕事に向いてるなって思っています。お客さんとの話すのは楽しいですよ、家では無口なんですけれどね(笑)」
駒形さん同様、その人柄で商売を超えて患者さんに愛される「茶沢通り整骨院」院長の栁佳宏先生。患者さんのご自宅に招かれ麻雀を楽しんだり、一緒に旅行に行くこともあるそう。栃木県にあるご実家も整骨院を営まれています。ご自身が小中高と打ち込んでいたサッカー仲間もお父さまの患者さん。寡黙でありながら確かな技術で「町医者」のように慕われ、感謝される背中を見て育ち、気がつけば同じ道に。柔道整復師の資格を取得し他店で修行を重ね、14年前に開業。それまで三軒茶屋は訪れたことさえなかったそうです。
「都会のイメージがあって構えていたんですが、生活感や人情味たっぷりの地域で意外でした。患者さん同士も知り合いが多くて、ベッドの隣同士で飲み屋で会った話をされてたり(笑)、佐藤理事長ご夫婦も患者さんなのですが、奥さんがウチの犬を散歩に連れて行ってくれたり。そんなつながりがとっても心地いいです」
腰痛を治療したある患者さんから「先生に命を助けてもらった」という表現でお礼を言われことが忘れられないそう。腰痛が治らず仕事ができなくなれば生活がままならまい、命に関わることだったと。決して大げさではない、人生に関わるような責任を負っていることを痛感。患者さんが抱える生活背景を考えて真摯に痛みに向き合うことに専念しています。スキルアップのため、日進月歩な医療の情報を知識にするために勉強会へもできるだけ足を運んでいます。また、患者さん対象に毎週ジョギング同好会やピラティス教室も開催、楽しみながらの運動の大切さも伝えています。
「以前、他店舗も構えようと留守がちにしてしまい、それじゃダメだって気づきました。いつもいるから頼ってもらえる。地域密着で仕事ができる有り難さ、楽しさ、やりがいを実感しています」
太子堂から穏やかな時を提供したい
駅前から離れた分、ゆるやかな時間の流れが感じられる太子堂。暮らしたいまちとして世界中から注目されるアメリカオレゴン州の都市ポートランドの雰囲気をぎゅっと詰め込んだ「PORTLAND CAFE and MARKET」は3年前にオープン、その風景に溶け込んでいます。穏やかな語り口のオーナー小原治さんの前職はパタンナー、本場で勝負がしたいと働いていた会社を退職しフリーランスとしてニューヨークに渡り12年間、まさに寝る間も惜しんで働いていたそう。次に移り住んだポートランドでの暮らしは17年間、その人々の暮らし方やまちのあり方に魅了され、ワークライフバランスの大切さを実感しました。
「アパレルの仕事はもうやりきりました。温泉や和食も恋しくなったし(笑)、大好きになったポートランドの文化を自分なりに伝えられるお店を持とうと帰国しました。日本の社会は毎日が慌ただしくて忙しくて大変です。せめてここに来たときは日常の喧騒から離れて穏やかな時間を過ごしてほしいと思っています」
ポートランドの小物や絵画に囲まれた店内、ゆっくり語らいながら、また、ガラス越しの茶沢通りの風景を眺めながら、小原さんが丁寧にドリップしてくれるポートランドのコーヒーやクラフトビールを味わえる時間や空間を楽しみにお客さんは足を運びます。小原さんも、お店を始めなければ出会えなかったお客さんとの日常を大事に過ごしています。
店舗物件との出会いはたまたま降り立った三軒茶屋の不動産屋で目に入った物件情報の張り紙、なぜか運命を感じたそうです。ほどなく住まいも近くに移し休みの日は自転車であてもなく路地裏を散策、プライベートも太子堂ライフを楽しんでいます。
「ポートランドはコミュニテイの共存共栄をとても大事するまち、店主や住民が参加してまちづくりを進めます。私もこの太子堂をもっと魅力的にするために自分が何をできるかも考えていきたいです。茶沢通りで太子堂独自のイベントができたら楽しいですね。優しく温かい人がたくさんいて、個性的なお店もたくさん。太子堂にポートランドの空気をだんだん感じるようになっています」
太子堂での商いの醍醐味を伝えたい
家業と一緒に商店街理事長もお父さまから継いだ佐藤さん、まちのこれから、商店街のこれからを考えることは3代目の宿命と受け止めています。商店街は飲食店、小売店、サービス店がバランスよく構成されており、地域のくらしのなかに店主とのやりとりがあちこちで感じられる地域密着の温かさを守っていきたいそうです。
「昔はこの茶沢通りは人であふれ、ひっきりなしに車が往来していました。そんな賑わいはなくなったけれど、僕は今のこの落ち着いた雰囲気だからこそ新しい太子堂のまちづくりができると思っています。厳しい時代からこそどの店も真剣勝負、個性を出して営業努力もしてお客さんひとりひとりをとことん大事にする、今の人はすごいなって思っています。可能性がたくさんあるまちなので、新しいお店にどんどん増えてほしいですね。ただ、三軒茶屋と下北沢の中間エリアという立地だけに憧れて出店しても難しいのも事実。でも、頑張っているいい店をお客さんが見抜いて大事に付き合ってくれる、そんなまちです」