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あきない世田谷

千歳船橋商店街振興組合

下町情緒と人情が道往く人を包み込む

キーショップ | 池田博樹さん
小田急線千歳船橋駅北側一帯が商店街エリア。稀代の名優森繁久弥氏が永年暮らしたまちとしてその名を馳せる千歳船橋。多世代に「ちとふな」の愛称で親しまれ、いつも大勢の人で賑わっています。人気チェーン店が建ち並び、便利さと入りやすさでお客さんのニーズに応える一方、心惹かれる小粋な個店も少なくありません。気取らぬ店主と気さくなお客さんが挨拶を交わし、世間話に花を咲かす日常は「ちとふな」らしさの真骨頂。名優の心をも捉えた庶民的で人情深い風土はずっとそのままです。

地域を思い商う日々

「侵入手口に対抗し続ける防犯設備の種類も、たばこ市場や喫煙のあり方もどんどん変わります。見聞を広め、技術も進化させていかないと商売になりません。だから兼業ではなく、ダブル専業だと思っています」

3代目の池田博樹さんが営む「キーショップ イケダ」は鍵・錠前とタバコの専門店。タバコ屋の小窓で短い会話を交わしながらまちを見守る一方、待ったなしの鍵の困ったに応え続けています。創業は昭和2年に遡ります。お祖父さまが量り売りの金物屋を開業、タバコ、プラモデルと扱い品を拡充、変化させながら40年前に現業態に。池田さんは店を継ぐつもりはなく化学メーカーのサラリーマン生活を送り12年が過ぎた頃、お父さまとご自身の体調不良が重なり、店に入ることを決めたそうです。

「ずっと昔に父がこのまちは流入人口がこれからも増え続けるから、防犯対策が出来る店が必要になると。タバコを扱い出したのも駅前にタバコ屋がなくて不便がられていたからと聞いています。子どもが大好きでプラモデルを販売していたときは、店内は子どもたちの憩いの場でした(笑)。工作の宿題をよく手伝ってあげていましたね。商売への先見の明もあったかと思いますが『地域のため』が父の商いの原動力だったんでしょう」

手先が器用で、ものづくりが得意なのはお父さま譲り。小さな頃から店を手伝い、その技術を間近に見て育ちました。家業を継ぐにあたり、合いカギの制作、錠前の取り付け・取り替え工事、カギの解錠といった100%の正確さが求められる精密な専門技術と知識を身に付けるため、メーカーの講習に通いながら店と現場で実践を重ねました。今ではその道25年の大ベテラン技術者です。

「現場でドアを傷つけずにドリルで穴を開けて錠前を取り付ける、家に入れなくなったお客さんを前に素早い解錠をするなど、神経を使う作業が多いです。カギが開かなくなった、取れなくなったとお店に飛び込んでこられるお客さんも少なくありません。皆さんにとっては緊急のお困りごとですから、無事解決した暁には『もう、うちには来ないようにされてくださいね』とお声掛けしています(笑)」

昔ながらのまちのタバコ屋さんでありながら、実はこだわりの愛煙家が足を運ぶ店。珍しい紙タバコ、手巻きタバコに葉巻など300種類の品揃えを誇り、なつかしいキセル型のパイプも取り揃えています。商品が多くモノがぱっとわからないから楽しい、ドン・キホーテ的な陳列も意識しているそうです。

「銀座や新宿まで出向かないと手に入らない商品も多いので重宝がられています。パイプは歳を重ねた方が好まれ、紅茶のように葉のブレンドが楽しめる手巻きタバコを好むこだわり派の若い方が増えていますね。なかなか奥深い世界でお客さんから教わることもたくさんあります」

「地域のため」を常に意識してしまう自分にお父さまの遺伝を強く感じているそうです。町会役員として町の清掃にも取り組むなか、タバコを販売する立場として一部で見受けられる喫煙者のタバコのポイ捨てや喫煙マナーが永遠の悩み。同時に地域防犯に携わる立場として、地域の治安には人一倍関心を寄せています。

「顔のみえる地域の老舗鍵屋がどんどん減ってしまい、残念ですし、心配もしています。安全安心を担う大事な業種ですから、地域のために1駅に1店はあるべきだと思っています」

まちの憩いの場になりたい

「あずまや 千歳船橋店」はこの4月開業の商店街の新顔であリながら、昔からそこにあるかのような雰囲気を漂わせています。気さくなオーナー小西一さんと談笑するお客さんの輪が徐々に広がっています。手軽なテイクアウトはもちろん、お酒のラインナップも充実したバーのようなカウンター席で熱々を頬張る幸せも味わえます。

「温かいお客さんに囲まれて早くも住めば都を実感しています。お酒も出せていない時期が長かったですし、これからが本当のスタートです」

小西さんは昨年末まで華やかな音楽業界の第一線に身を置いていました。音楽での成功を夢見て熊本県から上京、ロックバンドのボーカリストからやがて制作側へ。大手音楽プロダクションで作曲やアレンジ、レコーディングディレクター、ライブ制作そして著名ロックバンドギタリストのマネージャーと30年近い年月を無我夢中で走り抜けてきました。

「50代の自分を思い浮かべるともうキツイかなと考えるようになりました。子どもを持ったことも大きかったです。生活は不規則、ツアーに入れば家に戻れない、自分で時間が決められる仕事じゃありませんからね。これからは自宅の近くで地元の飲食店を持って、家族を大事に地域密着で生きていこうって決めました」

音楽業界時の旧知の仲間であるあずまや創業者から誘われ、覚悟を決めて店長ではなくフランチャイズオーナーの道を選択しました。研修でタコ焼きづくりを猛特訓、店に立ち腕を磨くなか、技術の奥深さに気付かされたそうです。

「生地の状態も気温や湿度で変わり、穴の位置によって焼け加減も異なる。毎日が発見です。焼いた数だけ確実に腕は上がっていきますね。創業者が8年焼き続けてもタコ焼きは面白い、と話していることを実感しています。うちのタコ焼きはお子さんにもにも安心して食べてもらえるよう厳選素材にこだわっています。銅板で保温しても時間が経つと固くなってしまうので作り置きが出来ないけれど、あまりお待たせもさせたくない。焼くタイミングも日々勉強です」

小西さんがこれまでも、そしてこれからも人生で何より大事にしているのが「人のつながり」。開業のきっかけしかり、音楽業界で「つながった」たくさんの人の応援を受け、この不安なコロナ禍で無事スタートを切ることができ、さらにここで「つながった」地域のお客さんの日々の応援があって乗り切った半年だと振り返ります。

「こんな小さな店に数え切れない開店祝いの花が届いて、花に囲まれて焼いていました(笑)。有名人の名前の札も多くて、通る方が不思議そうに眺めていました。お花が枯れてはもったいないのでよく来てくださるようになったお客さんに声を掛けて病院や近所の方に全部もらっていただいちゃいました」

「おいしかった」の言葉の積み重ねが心に浸み、鉄板を前に真夏の暑さに閉口しつつ、コンサート会場のキラキラした光景をふと恋しく思いつつも、店を経営する厳しさはあれど本来の自分らしい毎日が送れていると実感しているそう。

「地元の子どもや中高生に困りごとをふと打ち明けてもらえるような存在になりたいですね。『おっちゃん、実はバンドやってたんだぞ』なんて音楽のこと教えたり(笑)。ここで歳を重ね、ちとふな名物のタコ焼き屋のおやじになることが夢です」

ちとふな風情をしっとり味わうなら

森繁久弥氏にも愛され、ちとふなの人なら誰もが知る昭和40年創業の老舗「長寿庵」の営業は15時まで。17時からは粋な紺色の日除け暖簾がひときわ目立つそば処「蕎楽」の時間。「蕎麦を楽しむ」を意味する屋号の通り、乙なつまみといい酒を心ゆくまで味わい、キリッと〆の蕎麦を堪能。そんな蕎麦屋飲みを存分に楽しめる店です。店主の近藤浩伸さんは「長寿庵」の大将の長男、大学に進学し建築分野に興味を持つ時期もありましたが、卒業後は自ら店へ入りました。

「まずは大学進学をして社会を見なさいというおやじの思いは有り難かったです。いざ店に入り日々を過ごすうち、蕎麦への価値観、店づくりに対する方向性でぶつかり始めました。寝ずに働き、頑張れば売れる時代を過ごしてまちの大衆蕎麦屋を確立したおやじに対して、これからはとことん味を極めていかなければ生き残れないと考える自分。もう時効ですが、反骨心で自分が勝手に選んだそば粉を自前で仕入れていつもの店の蕎麦として何食わぬ顔で出していました(笑)。『あれっ、今日の蕎麦ちがうね』なんてお客さんに言われてこっそり喜んでいましたね」

近藤さんが目指したのは「美味しい蕎麦、いい酒、いいつまみ」が揃う大人のための店。独立への思いは募り、その機会はたびたび訪れたもののタイミングが合わず、空いた時間を見つけては他店を食べ歩き、問屋を訪ね、来るべき独立に備え、見聞とつてを増やしていきました。まさに満を持した50歳の時に同じ千歳船橋エリアで縁のあった物件で念願の自店を開業しました。

「ちとふなから離れるつもりで準備をしていたのですが、やはりこの地から離れられない運命なんですね。僕自身は、客層もかぶらないまったくの別の蕎麦屋として共存できる自信がありましたが、同じエリアの親子の同業ということでお客さんを取り合うのかとか、1年持たないとか、最初は周囲に大分心配されていました」

都心のいい店でお目見えするような質の高いものを、地元のお客さまに適正なお値段で気軽に味わっていただくことが地域の名店の気概。いいモノ、いい味を知る中年以上の落ち着いた世代が暖簾をくぐる繁盛店であり続けています。商売もすっかり軌道に乗ったいた2年前、入居物件の建替による店の退去が決まり新店舗を探していたところ、営業時間の短縮を考えていた実家と折り合いがつき、居抜きで夜の時間帯を営業することになりました。「長寿庵」の閉店後、毎日息つく間もなく仕込みを進めます。閉店時間を迎えると賄いを持って常連さんに合流、酒を酌み交わすことが楽しみだそう。

「いいものを心を尽くして調理し、心を込めたサービスを続けることで喜んでいただける。商売への緊張感は常にありますが、これこそがやりがいです。気心知れたお客さんに囲まれおしゃべりして、時にはよそにご飯に行ったり、ゴルフに行くことも。僕にとって商売は趣味でもある(笑)。毎日を楽しませてもらっています」

そぞろ歩きを楽しんでもらいたいから

千歳船橋商店街恒例の風物詩のひとつは、子どもたちが思い想いに描いた個性豊かな絵が街路灯にたなびくペナントギャラリー。18年前に池田さんが窓口となって近隣の小学校に声を掛け、39枚の参加からスタート。大きな白いキャンパスに自分の好きな絵が描け、自分の作品が商店街に飾られることは子どもたちにとってもすっかりお楽しみに。年々枚数も増え、今までは300枚程が集まります。一度では掲出しきれず、嬉しい悲鳴をあげなら商店街の仲間で力を合わせ順に掲出しています。

「子どもさんの絵を観に親御さんやお友だちがワイワイ楽しそうに商店街を歩いてくれる光景が大好きなんです。うちの商店街らしいなあってしみじみ。人がたくさん集まってそぞろ歩きを楽しんでもらえることこそが商店街の姿だと思っています。ひいてはそれが個店の繁栄につながると信じています」

千歳船橋商店街振興組合

代表者
池戸義明理事長
最寄駅
小田急線「千歳船橋」駅
住所
船橋1-9-10
TEL
03-3427-3269