世田谷の商店街を見つける、つながる

あきない世田谷

若林中央商店会

ほっとできる店や人が優しく待つ

CAFÉ STEPS | 藤崎信一郎さん
すぐ隣を通る環七の車の往来が遠くにあるかのよう、のんびりした若林の街並みにとけ込んでいる小さな商店街。店と民家がごく自然に隣り合わせ、同じ歩調で若林の日々をつくっています。ほど近い三軒茶屋とは異なるゆったりした時間の流れは、目の前をカタコト走る世田谷線のスピードに似ているかもしれません。ちょっぴり地味かもしれないけれど真面目な商いでじっくりしっかりと地域に根ざすのが若林流、そんなメッセージが感じられる商店街です。

若林の陽だまりのような場所

老舗喫茶店「CAFÉ STEPS」のマスターで商店会長も務める藤崎信一郎さん。世田谷線若林駅の小さなホームに隣接したその店には、住む人商う人が昼に夜にそれぞれのタイミングで来店します。静かにコーヒーを飲む人、仲間とワイワイ盛り上がる人、藤崎さんに話を聴いてほしい人、知り合い同士も知らない人も同じ時間を自然と心地よく過ごせる居心地のよさは、昭和、平成、令和と32年間に亘ってこの空間を醸成してきたマスターの人柄と心配りがあるから。訪れた人がここでしばし喉を潤して羽を休めてそれぞれ次のステップに向かう、そんな場所です。

「若林育ちっぽいと言われるんですが、親父が転勤族であちこち引越しました。中学からはずっと世田谷在住です。大学卒業後、大手喫茶店チェーンに就職しましたが、勤務地はなんと歌舞伎町の喫茶店。寝る間もなく働き続ける生活に疲れ、辞めて小休止をしていたところ、当時流行っていた求人雑誌でここの前身の喫茶店のマスター募集を発見。高校時代、仲間と通っていた…、いや、溜まらせてもらっていたという表現が正しいかな、梅ヶ丘にあった喫茶店が自分の描く喫茶店像。マスターの人柄やそこでの人間模様が楽しくて大好きでした。そんな『まちの喫茶店』で働きたいと迷わず応募しました」

いざ店に入るとオーナーは忙しく現場に不在、お世辞にもいい店とは言い難かったその喫茶店を今日でも役に立っているという大手喫茶店チェーンの現場で培った経験を生かして店づくり、接客、経営方針など一から立て直しを図り、やりがいを持って取り組んでいました。1年も経たないうちに想像もしなかった経営権譲渡、続いて建物譲渡の相談が持ちかけられました。

「自分では判断できるスケールの話じゃなかったです。当時の商店会長さんに相談すると『よっぽどの信頼をもらったということ。望んだって買えるものじゃない。』と背中を押してくれました。両親も『ありがたい話じゃないか。チャンスをいただいて頑張りなさい』と保証人になってくれました。今思い出しても若干24歳にとって相当な覚悟でした」

早く自分の店の看板をつけたいと、意気込み思いついた屋号が「CAFÉ STEPS」でした。

「店舗を増やしていくかもしれないなと頭をよぎって、最後に複数形のSをつけた記憶があります。若かったですね(笑)」

以来、社会の価値観やまちに住む人の顔ぶれが移り変わっても、『まちの喫茶店』としての矜持はそのまま。入れたてのコーヒーを飲むだけの目的ならコンビニで100円で買える時代、だからこそ来てくれたお客さんに求められることにはできるだけ応えたい、一杯のコーヒーやナポリタンがきっかけとなってつながりを生み出し、大事に繋げていくことこそがマスター業の醍醐味だそう。食事の様子やスピードがいつもと違う年配者に声をかけたり、酔って帰ったお客さんが心配になって思わず家まで訪ねたり。メニュー表には載ることはない、温かさや優しさという裏メニューがたくさんあります。

大好きになった人たちに囲まれて商う幸せ

「CAFÉ STEPSは人生初の行きつけの喫茶店。コーヒーの美味しさと居心地の良さが気に入りました」

そう話す常連の風間政広さんは代沢から移転したクリーニング店「大丸クリーニング」の店主。雑貨屋のようなカフェのようなおしゃれな店の佇まいが目を惹きます。

クリーニング屋で育った風間さん、職人肌のお父さまに息子だからと当たり前に作業を手伝わされることが若い頃は嫌でたまらなかったそう。家業を継ぐ気はなく、学卒後は大手印刷会社に就職、版下作成の技術を磨くなか、お父さまの病気を機に家業を手伝うように。原付バイクでクリーニング品の配達に回るようになりました。

「最後の親孝行のつもりでした。親父の通夜のとき、クリーニング屋をどうするか、という話に。ひいきにしてくださっているお客さまがいてくださるのに、このまま店を終わらせてしまっていいのだろうか。できる範囲でやってみようという気持ちになりました」

30代半ばでクリーニング師の国家資格を取得、一通りの仕事を覚えながら、業界の勉強会にも足を運び、技術を磨いていきました。特にずっとその奥深い魅力に取りつかれているのがシミ抜き。その中でも地直し、色掛けという着物のお手入れに準じる技術を用いた作業は、時間を忘れて夢中になってしまうそう。一般クリーニングとして預かった衣類にお客さまも気づいていない小さなシミを見つけると、そっと抜いて差し上げることも。

「思えば高校時代、美術部で絵の具の混ざり合う様子が大好きでずっと夢中になっていました。前職でも仕事柄、色づくりの割合はばっちり叩きこまれていて色に対する感覚が身についていたみたいです。不思議なものですが、家業を継ぐべくして継いだのかもしれません」

お父さまの時代からのお客さまはもちろん、口コミやSNSでその技術を知ってか、シミ抜きの駆け込み寺のように思いもかけぬお客さまが来てくれるそう。素材と向き合い、使用する薬品を見極め、繊維を傷つけぬよう神経を研ぎ澄ませて作業にあたります。

「クリーニング屋もさまざまな特徴がありますよね。得意分野や値段などでお客さまが上手に使い分けてくださったらいい時代だと思っています。うちは値段だけを見ると決して安くないですが、その値段の意味がわかってくださってくれているお客さんに支えられています。この近隣でシミを抜くなら大丸、という存在を確立していきたいと思っています」

4年前に移転をするにあたり、今までのお客さまとのつながりを継続できる近い距離である若林を選びました。まちの雰囲気はもちろん、商店街のメンバーや新たなお客さまとの緩やかなつながりもとても心地よく、大正解の選択だったと振り返ります。

「同業の仲間と藤崎さんが知り合いで『風間ってやつが来るらしい』と情報が周知されていたおかげで(笑)、すっとなじましてもらい今日に至ります。外から来た人間が入りやすい懐が深いまちなんですよね、若林って。仕事をどんどんこなすというよりもひとつひとつ取り組むのが似合う、落ち着いて仕事ができる土地柄です。移転が決まる少し前にバイクで転倒してしまい、4針も縫った忘れられない痛い思い出の地が若林のくだり坂(笑)。代沢時代に買いに行っていた近所のパン屋の「ピーターセン」、なくなっちゃったんだと思っていたら若林で見慣れた看板を見つけてびっくり。いろいろ縁があったんだなとしみじみ思います」

お客さんと過ごす毎日が愛おしい

絵本に出てきそうな可愛らしい店構えの「ピーターセン」。志保石睦さん(写真中央)、江都子さん(写真左)ご夫婦が営むその店は7年前に風間さんと偶然にも同じく、代沢から移転、幅広い世代のお客さんに慕われる「まちのパン屋」になりました。ご夫婦のお人柄がギュッと詰まった毎日食べても飽きのこない味、驚くほど豊富な品揃え、お財布に優しいお値段とどれもこれも「地域のみんなが気軽に食べてくれるパンを売ること」こそがお二人のパン屋を営む理由そのものだから。

「お客さんの『食べてみたい』を実現していったら、どんどん品揃えが増えました。また食べていただきたいから、また作って並べちゃう。求めていただけること、喜んでいただけことが幸せなんです」

お客さんとのふれあいが大好き、いつも元気な江都子さんとちょっとシャイなパン職人の睦さんは幼なじみ。当時下北沢の商店街にあった睦さんのお父さまが働いていた「まちのパン屋」の目の前にあった「まちの衣料品店」で育った江都子さん。家族ぐるみのお付き合いが続くなか、お父さんと同じパン職人の道を選び、代沢で店を持った睦さんに頼まれ手伝いをするうちに江都子さんも「まちのパン屋」の家族になりました。

「小さい頃から目の前のパン屋さんを見ていて、パン製造の大変さをじゅうぶん感じていましたが、当時、主人の店で焼きたて熱々のパンを食べたときに感動しちゃったんです。『むっちゃんのパン美味しい』って。こんな美味しいパンをいろんな人に食べさせたい、という思いが、ずっと私の原動力です」

クリスマスイブはフランスパンが飛ぶように売れるので毎年50本以上を焼き上げています。料理の邪魔をしないパンづくりを、というのも同店のポリシーのひとつ。パンの個性を際立たせるのではなく、いつでも優しい味、その調和を追求しているからこそ、日常のみならず、特別な日の食卓にも選ばれるのかもしれません。

「クリスマスはちょっと豪華に都会の店まで出掛けておしゃれなおつまみや総菜、ワインを買われてお家でお祝いされる方も増えていらっしゃるようです。そして最後にうちに寄ってくれて。『パンはいつでもここって決めているからね』なんて言っていただけると、ほんとにパン屋冥利に尽きます」

幅広い世代のお客さんの中でも特に子育て世代の若いママたちに支持されています。おしゃれで美味しいパンであることは大前提、子連れでも気兼ねなくいつも笑顔で迎えてもらえる安心感が求められる理由。壁にはたくさんのお客さんからのお手紙が飾られています。「若林のお母さん」のような江都子さんは子どもたちに気軽に声をかけ、仲良しになります。ママたちもすっと心を開き、他愛もないおしゃべりをしたり、離乳食やアレルギーの相談をしたり。江都子さんにとって大好きな毎日の一コマです。

「自分自身は幼い我が子をおんぶして仕事をしながらのバタバタ子育て、あまり偉そうなことは言えないんですが、子育てに頑張っているママたちも子どもたちも可愛くてしかたなくて。お客さんの子育てにちょっぴり関わらせてもらえて幸せです」

若林らしさを大事に 今までもこれからも

藤崎さんは開業以来ずっと商店街活動にも関わり、どっぷり30年以上。変わりゆく人並みに戸惑いや寂しさを感じつつも、かつての自分のように新しい仲間がまちに関わってくれることが心強く、若林の商環境としてのこれからの可能性も感じているそうです。遠方のお客さまをどんどん呼び込むような賑わいづくりは似合わないかもしれない。だからこそ、その昔のように地元のお客さんともっと顔見知りになれることを目標に「若林っていいところだよな」と再認識ができる賑わいづくりをとにかく継続、一点集中で盛り上げていきたいと考えています。

「例えるなら小さな商店街って地方のローカル線みたいなものかもしれない。目新しくないし効率も悪いから、いらないのかな、なんて思われてしまったり。でも、なくなったら困る人がたくさん。だからこそ、私たちがその価値を体現していかないといけませんね。」

若林中央商店会

代表者
藤崎信一郎会長
最寄駅
東急世田谷線「若林」駅
住所
若林3-36-8
TEL
03-3412-3891