世田谷の商店街を見つける、つながる

あきない世田谷

経堂本町会

新しいつながり 新しい魅力

斉藤たばこ店 | 斎藤晴彦さん
小田急線経堂駅前から広がる商店街のひとつ、どこかなつかしい商店街のシンボルアーチが目印です。80年もの商店街の歴史からくる落ち着いた雰囲気はそのままに、本町会に新たな活気が生まれています。昨今、時代に合った感覚を持ち合わせながら、まちを思い、人とのつながりを楽しみ、大切に考える新しい商人たちが不思議と集まってきています。彼らに商店街の未来を見出し、応援を惜しまない風土がきっと引き寄せているのでしょう。人や店が変わっても昔ながらの厚い人情はずっと引き継がれています。
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ここでの出会いを大事に育てたい

3年前より商店会長を務めている「斉藤たばこ店」の齋藤晴彦さん。昭和初期にまで遡る創業時は燃料店、その後たばこ専売店へ。経堂のまちの歴史とともに歩んできた超老舗の3代目でありながら、そんな雰囲気は一切感じさせず、若い商人たちにフラットにいつも笑顔で声をかけています。

「15年前に兄が亡くなって店を継ぐことにしました。昔は地元志向の強かった父や兄が正直苦手でした。次男だったせいか、『自分の力で外で生きていく』という反骨心がありましたね。でも地元に戻り、『君の親父さんにはとてもお世話になった』と方々から声をかけていただけて、当時は気づけなかった父の生き方を回想するようになりました。商店会長を引き受けたのも『斎藤の息子として同じようにまちのために頑張りたい』という思いからです。地元を離れている期間が長かった分、最初は変化に戸惑う浦島太郎状態でしたが(笑)、戻った僕だからこそ新たなつながりを紡いでいこうと。決して野心家ではないですが、昔から思ったことはやってみないと気がすまない性格なんです」

小さい頃から生き物に興味があり、進学した農学部ではミツバチの研究に没頭しつつ、今後はもっと広い世界を知るために英語を学びたいと思い立ち、親に頼み込んでアメリカ留学も経験しました。箱根の高級リゾートホテルに就職し、12年間ホテルマンそして総務や人事畑と幅広い職種の経験を積むなか、スカウトされ大手生命保険会社へ、さらに旧日本道路公団へ。バブル期には不動産の活発な住み替えに目をつけ、リサイクル品の卸の会社を立ち上げ、一から商売を始める醍醐味や売上の浮き沈みの苦労もたっぷり味わいました。

「今の若い人たちってここで商売をしてダメならほかに動けばいい、やめればいいと考えているのかな、というイメージを勝手に持っていましたが大間違いでした。『ここで成功する』という必死な覚悟を持って来てくれています。でも、決して自分のところが儲かればいいというスタンスじゃない。まちや商店街に自然体で溶け込もうとしてくれています。僕自身、今までいろんな人と出会いと経験があってここまで来られましたから、今は彼らとせっかく出会わせてもらった僕ができることをしてあげたいと思っています」

飲食店だからできることを

「斎藤たばこ店」のお隣、「いい飲み屋が隣にあるとついついね」と笑う斎藤会長も行きつけの「魚のタナ」。商店街自慢の名店「魚眞」出身のオーナーが2016年に開店、店を一任されているのが店長の安田拓郎さん(写真右)です。幼なじみの料理長と忙しい店を切り盛りしています。自慢の鮮魚をはじめイタリアン出身の料理長から生み出される和の創作料理の美味しさ、そして居心地の良さに後を引かれ、お客さはまた暖簾をくぐります。笑顔の店長の元ではお客さんもいつだって笑顔になれます。

「天気、出身地、好きなお酒とか。ひとつの情報を糸口に会話をぐんと広げます。僕やスタッフがパイプ役となって、いつのまにか知らないお客さん同士が打ち解けて、楽しそうに会話されている光景を見ると嬉しくなっちゃいます」

コミュニケーションの上手さは天性のもの、町田市で40年も続くお好み焼き屋で生まれ育ちました。学生時代はロックに夢中、バンドを組んでその道で行きていくことを目指した時期も。音楽に関わる仕事をしていきたい、とレコード販売会社で働いていましたが、やがて興味は飲食業にシフトしていきました。フレンチのビストロでの修行後、大手チェーンの居酒屋で働き店長に昇格、その姿がオーナーの目に留まり、声を掛けられました。

「自分の裁量でメニューや仕入れができる個人店をやりたいという気持ちが強くなっていたタイミングでした。魚眞系ということで最初からお客さんも来てくれた分、プレッシャーもありました。出だしは気負って毛ガニやのどぐろなど高級魚を仕入れてメニューに入れましたが反応はいまひとつ。何が満足していただけるか模索するなか、気心知れたまちでは気軽に美味しものを楽しみたい、お客さんのそんなニーズに気づかされました」

開店1周年、2周年の記念日は近隣飲食店の料理を仕入れて、自店以外の料理でコースを組みたてお客さんをお迎え。メニュー表には、それぞれの店名、品名を記載し、お客さんに紹介しました。店同士がつながり、互いに応援しあうようなきっかけになれば、そんな思いもありました。

「ありきたりじゃない企画にしようと思いつちゃったのですが、慣れないよそさまの料理の味を壊さないよう、火の入れ方ひとつも慎重に慎重に。疲れましたが(笑)、お客さんにもお店の方にも喜んでもらえて何よりでした。これからも、面白いことを仕掛けていきたいです。このコロナ禍では店を心配してくれた常連さんたちに救われました。商売は『人』のつながりを大切にしていくこと、改めて強く思いました。地元に愛されながらも、いい飲食店が呼び水になって遠方のお客さんにも足を運んでもらえる商店街にしたいですね」

その道のプロフェッショナルを目指して

テレビに映る優しい笑顔のままの「はりきゅう治療院ぶんのいち」の三宅康敏さん、「ミスターちん」としての芸能活動と並行し、鍼灸師として3年前に開業した治療院の院長を務めています。

鍼灸師への道を選んだのは、自身が永年抱えていた頭痛が、医者をする友人のススメで50歳を前に初めて受けた鍼灸治療で改善したことがきっかけ。

「薬で抑える痛みの軽減とは違う、鍼灸の不思議な効果に驚かされました。昔から医療系には興味があり、自分自身の長い人生を考えたとき、何か手に確かな職をつけておきたいとも思っていたところだったので、鍼灸師になろうと一念発起。国家資格である鍼灸師を持っている芸能人は聞いたこともなかったので、一番手になったらすごいぞ、という動機もありましたね(笑)」

専門学校の夜間部に進学。高校を卒業したばかりの若者から定年後の方までさまざまな同級生との新鮮なキャンパスライフ、勉強に打ち込み、知識が深まる充実感がたまらなく、芸能活動で出席日数はギリギリ、寝不足で身体はきつくても嫌になることはなかったそう。3年間で無事免許を取得し、千葉県の鍼灸院で4年間の臨床を積んだのち、縁あって当治療院を任されることになりました。専門学校時代に知り合った仲間の鍼灸師たちと、それぞれの専門分野を生かして施術に当たっています。三宅先生の専門は不妊治療などの婦人科系疾患や、頭痛や不眠症などの不定愁訴の治療です。

「僕、もともと集中すると黙ってしまうタイプで黙々と施術をします。芸人のイメージが先行していますから、『先生って、喋らないんですね』と患者さんに意外そうに言われます(笑)。『眠れるようなりました』、『子どもを授かりました』という嬉しい報告をいただけることが最高のやりがいです。『ミスターちんが院長』ということはあくまで知っていただくきっかけ、腕を頼って来院していただけるようにならないと。信頼いただき身体を預けてくださっているすべての患者さんに効果を出して差し上げられるよう精進のみです」

経堂在住が長い三宅先生は、すでに地域住民としてまちにすっかりなじんでいます。

「ほんとに住みやすい、いいまちです。ここで子育てもしていますからね。商店街を通って帰る安心感とか、挨拶できる人が自然と増えていく人とのつながりのありがたみとか。商店街を担うひとりとしても『地元経堂』を盛り上げていきたいですね」

経堂のまちのランドマーク、30年もの歴史を持つ「経堂ボウル」の若きマネージャー平林知哉さん(写真左)、高校時代に遊びで出会ったボウリングにすっかり魅せられ、大学時代は地元藤沢市のボウリング場でアルバイト、そして念願のボウリング場運営会社へ就職。ボーリング愛たっぷりに「経堂ボウル」を切り盛りしています。

「高校では弓道部に所属していました。きっと黙々と練習を積み上げ、記録を出す競技が好きなんですね。普通、競技スポーツは記録更新となる未知なる数字を目指すわけですが、ボウリングはスコア300と最高記録が決まっているなかでいかにミスをしないか、自分自身との戦いになってきます。これは面白いと夢中になりました」

日々のマネージャー業は多岐に渡ります。接客、顧客管理、清掃から用具の修理、レーンの整備まで、その技術も身につけました。お客さんに寄り添い、気兼ねなく声をかけてもらたいとスタッフ一同、笑顔を絶やさずも、つねに緊張感を持って業務にあたっているそう。

「重いボールを扱いますので、お子さんに限らず大人の方でもボールに指がはまってしまったとか、勢いあまってレーンにダイブしてしまったとか。楽しく帰っていいただくために安全第一、いつも場内全体に神経を注いでいます」

仕事としてボウリングを客観視するようになり、改めてその素晴らしさを実感するようになったそう。親子3世代が自分のペースで身体を動かせて楽しめるスポーツであり、レジャーであり、貴重な団欒の場。もちろん、季節にも天候にも左右されません。マイボール持参で真剣に取り組む人から、両手でボールを転がす小さな子どもまで誰もに伝わる魅力を持っています。だからこそ、今後ますます地域の交流の場として貴重な役割が果たせると確信しています。

「経堂のまちは学生時代に遊びに来てなじみはありましたが、ボウリングを介して商店街の店の方や地域の方と知り合うことができ、まちと人が大好きになりました。和気あいあい、いっしょに時を過ごすことに勝るコミュニケーションはありません。ここの会員さんもきっとボウリングを介したここでのつながりを楽しみにしてくださっているのかな。自粛期間も再開の問い合わせの電話をたくさんいただき、感激しました」

プロテスト合格の実技テストの基準はアベレージ200以上というなか、平林さんは190という実力の持ち主、レッスンインストラクターとしての顔も持っています。

「カラオケに行くように、日常の身近なレクリエーションのひとつとしてもっと気軽に寄ってもらえるよう、経堂のボウリング振興に努めていきます。個人的には『経堂ボウルの平林プロ』になれたら、なんて思ってます」

仲良しの輪を広げる

創業以来の番頭さん、そして看板犬すうちゃんと店を守りながら、商店街振興に力を注ぐ日々。まちのみながつながるきっかけになれば、と3年前に「経堂本町会ボウリング大会」を立ち上げました。1ヶ月の開催期間を定め、その間に「経堂ボウリング」で各自がプレーし、そのスコアを商店街全体で競い、後日表彰式を開催するというもの。各店からお客さんたちもたくさんエントリーして毎年大賑わいになります。昨年は218名もの参加がありました。

「月並みですが仲良しになることが一番。店同士が互いの店や人のよさを知って、『今度あの店行ってみてよ』なんてお客さんに自然と宣伝して、盛り上げていきたいですね。事実、いい店がとっても多い商店街ですから、もっと知ってもらわないともったいない(笑)。店がつながれば、そのお客さんもつながり、まちもつながる。これからが楽しみ、ワクワクしています」

経堂本町会

代表者
斎藤晴彦
最寄駅
小田急線「経堂」駅
住所
経堂1-17-12
TEL
03-3429-1615