世田谷の商店街を見つける、つながる

あきない世田谷

尾山台振興会商店街振興組合

まちを思い、上質な商いを紡ぐ

魚辰 | 大武浩さん
東急大井町線尾山台駅北側の駅前から等々力通り沿いに広がる商店街。高級住宅地として名高い尾山台の人々の穏やかで落ち着いた暮らしに溶け込んだ商いを続けています。求められているのは、プロフェッショナルな店主の存在や確かな味、心のこもったサービスの提供という時代を超えた、本質的に価値あるもの。その積み重ねが、お客さんとの信頼関係を深め、永いお付き合いへとつながっています。尾山台の上質な商いの風景はお客さんといっしょに創られています。

自分の商売を愛せる幸せ

尾山台の台所といわれる「尾山台いちば」にある創業83年を迎える「魚辰」、尾山台の魚食文化を支えてきた名店です。ご両親やスタッフとテキパキ店を切り盛りする大武浩さんはいつだって笑顔の元気な3代目。幼い時分から「尾山台いちば」に入っている店々の番頭さんに可愛がられ、小中学校時代の帰り道も「ただいま」を言いに必ず立ち寄っていたそうです。気概に溢れる商人たちに囲まれ、家業の活気をまじかで感じて育ち、卒業後は迷うことなく自店に入りました。

「親父はまずは他所で人生経験を積ませたかったんだろうね。甘やかすまいと俺に厳しくて、昔は怒ってばかりだった(笑)。お客さんもいるから、お袋がよく取りなしていたね」

30代に入った頃、お父さまの路線を守りながらも、店に新たなウリを出したいと、高級食材であるフグを扱うことを考えました。デパートと同じ品質のものを地元の店でまちの値段で提供できたら喜ばれるに違いないと確信があったそう。家業の合間に当時桜新町にあった老舗魚屋に通い、先輩からフグの扱いを実技で学び、「フグ調理師免許」を取得しました。

「いい品をできるだけ安くは当たり前、地道ななかにも攻めの姿勢を貫いてきたから今があると思っています。差別化っていうのかな、手間も人手もかかるけれど、うちはよそに真似できない品揃えでずっと勝負している。『今日は何があるかな』『この魚、食べたことない』、なんていつ来てもワクワクしてもらえる店であり続けないとね」

忙しくも充実した大武さんの毎日。魚屋の勝負は仕入れが半分、販売は半分とのこと。目覚ましは毎朝5時、車を走らせて豊洲市場に向かいます。レインボウブリッジと富士山の眺めを束の間楽しみ、いざ仕入れへ。心地よい緊張感のなか、経験と知識とセンスをフル稼働させより良い品を見て触って選びます。「これ安いけどいい品だね」、「わかりましたか」、信頼関係を築いた仲卸売業者さんたちとのやりとりも醍醐味のひとつ。店に戻り、手のかかる下処理作業を施した愛着たっぷり自慢の商品を店頭に並べます。

「となりの八百屋の親父さん、自分が仕入れてきた商品を『これはいい』とかブツブツ言いながら並べているんだ(笑)。気づけば俺も『いいものが入ったぞ』とニヤニヤしながら並べている(笑)。みんな商品に惚れ込んでいるから、自信を持って商売できるんだよ」

お正月、誕生会、お食い初めなど自宅に客人を招き、お祝いをする風習が残っている尾山台。その大事な1品として「魚辰」に刺し盛りや寿司、祝い魚を代々にわたって注文してくれるお客さんもたくさん。ハレの日に頼りにされることは魚屋冥利につきるとリクエストにも精一杯応えます。その一方、魚を食べない若い世代も増えていることへの危機感も。近隣の保育園の秋の収穫祭で魚を捌くところを子どもたちにお披露目したり、商店街のまちゼミ事業では「刺身の盛り付け講座」を開催したり、魚に親しんでもらうことから、と地域の食育にも全力投球です。

「昔はここらに5軒もあった魚屋がウチだけになりました。なくしちゃいけない店だって気負いがあるから頑張れる。魚屋がなくなったら魚の美味しさは伝えられなくなる。やりがいを自然に感じてもらえたらって高校生の息子にたまに店を手伝ってもらっています」

美味しい料理で温かな時間を

緑の木々に囲まれた可愛い赤い扉と鹿のぬいぐるみが印象的な「ビストロ レ・シュヴルイユ」。扉を開けると、いつも笑顔のマダムがお出迎え、キッチンには料理づくりに励むシェフの大谷岳史さんの姿。「ビストロ」の定義は「気軽に利用できるまちの小さなフランス料理店」のこと。肩肘張らずにフランス料理を食べながらいい時間を過ごしてほしい、二人の温かな思いがまっすぐに伝わってくる店です。

大谷さんは大学進学を機に福島県から上京、なんとなく大学生生活を過ごすなか、なんとなく始めたイタリアンレストランのアルバイトで料理づくりの楽しさを知りました。生まれて初めて出会った「どうしてもやりたくなったこと」。自分でも驚く熱意で「調理人になりたい」とご両親を説得して大学を3年で中退、辻調理士専門学校に入学を決めました。フランス料理とイタリア料理の基礎をきっちり学び、卒業後は恵比寿の格式あるフレンチレストランへ。

「最初に一流の場で経験を積んでおきたいと思いました。当時は長時間労働も当たり前、体力も精神力もギリギリでした。でも振り返れば、サービス、製菓、製パン、賄いづくり、すべてに全力で向き合ったことが今の技術の礎になっています」

その後、都内数店のダイニングバーやレストランで働き、シェフとして扱う料理の幅を広げるとともに、店づくりの工夫や上に立って人を使う大変さなど現場での経験を積み、満を持して店を持ちました。

「住宅地で店を持ちたいと考え、当時から世田谷区に住んでいたので区内で物件を探すなか、尾山台の落ち着いた雰囲気が気に入りました。ここでなら料理をじっくり味わっていただける、きっと自分たちらしい店づくりができると確信しました」

屋号の「シュヴルイユ」はフランス語で鹿のこと、ジビエ料理は人気の看板メニュー。鹿肉はその産地である奥さんの実家のある兵庫県養父市から直送されているブランド鹿「やぶ鹿」。脂身の少ない赤みの鹿肉を低温でじっくり調理、その柔らかさと上質な味に初めて口にしたお客さんはみな驚かれるそうです。すべてが手作りという前菜からデザートまで充実したメニュー、その一品一品に岳史さんの一流の腕と料理づくりへの静かな情熱、そして優しい人柄があふれています。

「美味しいお料理はここじゃなくても食べられます。ウチを選んでくれているのは、きっと居心地のよさじゃないかな。妻の接客の賜物です」

家族連れ、カップル、ひとりで来られるお客さん、その誰にとっても過ごしやすい空間づくりはマダムの手腕。キッチンカウンター前の1枚板の大きな木のテーブルにひとりで来たお客さんを隣同士にご案内。マダムがさりげなく会話を紡ぎ、お客さん同士も自然と打ち解けます。コロナ禍では毎週テイクアウトを注文してくれるお客さんや仕事帰りの閉店間際に駆け込んで「ビール1杯飲ませて」と応援してくれる常連さんの有り難みが身にしみたそう。

「お客さんとの8年の歳月の積み重ねがあったから乗り切れています。お客さんとここで一緒に年を重ねていきたいですね。実はジビエ料理をきっかけに4年前から狩猟にすっかりはまってしまい、山での暮らしにも憧れを感じていますが、ずっと先の楽しみにとっておきます(笑)」

極上のコーヒーで穏やかな時間を

自家焙煎「讃 喫茶室」は2年前にオープン、大きなガラス窓には趣ある焙煎機、美しく陳列されたコーヒー豆のガラス瓶、落ち着いた雰囲気の店内の様子が優しく映っています。店長の泰圓澄(たいえんちょう)秀一さん(写真手前)は、その道の第一人者でオーナーの浅野さん(写真奥)を師と仰ぎ、コーヒーの味を追求する日々。豆は店内で自家焙煎、抽出はネルドリップ、1杯のコーヒーをじっくり手間をかけて生み出しています。

泰圓澄さんは大阪市出身、前職はサラリーマンのエンジニア。会社帰りに立ち寄る「讃 喫茶室」宝塚店で浅野さんの生み出す自家焙煎コーヒーの味に疲れが癒され、いつしか常連になりました。自分の職業にどうしても将来像が描けなかったなか、焙煎技術の奥深さを見聞きし、また、浅野さんの人柄、造詣深い会話、コーヒーを突き詰める生き様にすっかり魅了され、やがて自分も客ではなくカウンターの向こうの人間になりたいと思うようになったそう。

「今思い出しても恐れ多くて恥ずかしいです。自宅のコンロで銀杏入り機を使ってコーヒー豆を焙煎して師匠に見てもらい、『仕事は辞めます、弟子にしてください』と志願しました。もちろん即受け入れてはもらえませんでしたが、まずは接客やサービスの基礎から身につけるようと知り合いの店を紹介されました」

その後も浅野さんの手掛けたコーヒー事業の現場での実践を積むなか、次第に本気度が認められ、ここの店長を任されることになり、師匠と共に美味しいコーヒーづくりへ情熱を注いでいます。豆の持つ特徴や産地の知識を持って選び抜いた生豆を加熱し、香りや風味を生み出す職人の技。焙煎の繊細な加減は、抽出以前に最初の苦味や酸味という味のゾーンを決めてしまうもの。目指す味のゾーンの実現にはまだまだ道半ば、だからこそ一生かけて追求してみたいと魅きつけられるそうです。また、接客も同様、レベルアップ、スキルアップすべく学びの日々。プロとして凛とした緊張感を持ちながら、心を尽くして誰にとって心地よい空間を提供できるよう、邁進しています。

「職場ではありますが毎日、僕自身の起きている時間のほとんどをここで過ごしているので、ずっと仕事の外の顔をしているのは難しいですね。お客さんとのやりとりや会話を心から楽しませてもらっている素の自分もいます」

店内は静かに談笑する人、本を読む人、仕事をしている人、遠方からチーズケーキを求めて来た人。コーヒーを傍らに過ごし方は人それぞれでも、まるで「讃」の流儀があるように、店の雰囲気にお客さんが溶け込んでいます。

「『ここの美味しいコーヒーは飲み終わる頃に気持ちもほっとしている』、そう思って足を運んでいただけたら最高です。まちの人がふらりと来て過ごして元気になってくれるところでありたい。そんな思いを込めて、うちは『喫茶店』じゃなく、『喫茶室』なんです」

まちや世代をつなげるやりがい

大武さんは店の外でのつながりを大事に思い、多方面の役割を担って来ました。それが店のため、まちのため、そして自分の糧となり、大変さよりも得ることの方がずっと大きいと実感できているからこそ。全国水産物商業協同組合の青年部会長を務めたことで、日本あちこちの魚屋の仲間と知り合い親交を深め、「俺も負けちゃいられない」と家業にさらなる奮起。また、商店街では副理事長として、たくさんの地元の仲間たちといっしょに生まれ育った尾山台のまちづくりを楽しく活気あるものにしています。

「サラリーマンだったらいわば中間管理職的な立場だよね。商店街の基盤をつくってくれた先輩たちの思いをきちんと伝えつつ、若い人にも新しい人にはまちのこと、商店街のことに遠慮なく関わってほしいんだ。どんどん巻き込んじゃうのは僕の得意とするところ(笑)。大人になって新しい仲間が増えていくなんて幸せだよね。信じてもらえないけれど、小さい頃は引っ込み思案で泣き虫だった(笑)。商店街や魚屋の現場が僕という人間をパワーアップさせてくれたと思っています」

尾山台振興会商店街振興組合

代表者
高橋勝実理事長
最寄駅
東急大井町線「尾山台」駅
住所
等々力4-7-4-203
TEL
03-5760-6411