路面店だから伝えられる価値
「洋服や靴や鞄にこだわる方もハンカチは『もらったもの』をなんとなく使っていることが意外に多いんです。いつもはポケットのなかで目立たないけれど、手を洗ったり、汗を拭いたりと一番自分の手に触れるもの。ぜひ品質にこだわっていいものを使ってほしいです」
柔らかい物腰で商いへの思いを丁寧に語るオーナーの間中伸也さん。13年前にオリジナルブランドを立ち上げ、三宿通り沿いにメンズハンカチ専門店「H TOKYO」をオープン、ギャラリーのようなシックな店内に美しく陳列されているハンカチが主役の店です。
大学卒業後に就職した大手量販店でメンズ服飾雑貨に携わり、販売、ものづくり、バイヤーと広く経験するなか、ブランド名ありきの商売のあり方に違和感を持つように。ことさらハンカチに関しては品質を追求した商品が少なく、品質から選んで購入する文化が定着していないことに気づかされました。ならば自分がほしいと思えるものをつくって販売をしたいと独立を決意。「IID世田谷ものづくり学校」事務局副校長を務めていたこともあり、ものづくりの精神が育まれている土壌とまちのファッション性を兼ね備えた三宿を開業の地に選びました。
おおよそ46cmと52cmの四角い1枚の布、たためばその16分の1の小さなその商品ひとつひとつに「H TOKYO」の世界観があふれています。ヨーロッパの高級シャツ生地や日本の有名生地産地の素材などを使用した選りすぐりの生地に、シックなものから遊び心あるテイストのものまであらゆるシーンに合わせて選べる洗練されたデザイン、そして熟練の職人の手作業による縫製、仕立て。そのこだわりに納得をいただき、お客さんが求めているものにあった提案ができるか、ハンカチ屋の矜恃を胸に接客にあたります。誰がどうつくっているか、ものづくりの過程や商品の背景を伝えることも大事な使命だそうです。
ときに本物に触れると人は心を揺さぶられます。「ここのハンカチを握ると勇気が出るんです」「ここのハンカチで涙をふいたら元気が出ました」、お客さんの言葉に胸がいっぱいになることも。縁あって商品を手にとってくれた人に幸せを届けることができるならば、これ以上に商売のやりがいはありません。
「品質はさわって感じてもらうのが一番、写真や文字では伝わりきりません。店に足を運んでいただいたお客さんと会話をしながら販売する意義をこのコロナ禍で改めて考えさせられました。ハンカチといえば真っ先に思い浮かべてもらえる店、ブランドでありたいです」
本物の美味しさの追求
2006年に三宿で開業、昨年11月「H TOKYO」の隣にリニューアルオープンした「シニフィアン シニフィエ」。日本の製パン業界の巨匠、志賀勝栄シェフが生み出す唯一無二のパンを求めて全国からお客さんが訪れる名店です。店の代名詞である低温長時間発酵バゲットや旬の素材を取り入れた限定の創作パンなど、近くにある志賀シェフのパンづくりの基地、ラボで焼き上げられた少数先鋭のパンがその風格を漂わせて並んでいます。
「僕は売れ筋をつくるという視点を持たず、自分のつくりたいパンだけをつくっています。まちにはカレーパンやメロンパンを気軽に楽しめるパン屋さんが必要、でもウチみたいなパン屋もあっていい。お客さんを取り合うのではなく、それぞれの個性を出して頑張って共存していくことがベストだと思います」
新潟県の米農家で育ち、小さい頃はパンが大嫌いだったという志賀さん。大学受験のための上京で初めて知ったバゲットの味に衝撃を受け、パンづくりの世界へ。まちのパン屋の修行から始め、大手パン製造業数社で腕を磨きベーカーリーシェフも経験。いくつもの有名パンブランドの商品開発を担うなどパンづくりに没頭してきました。30年かけてご自身の集大成である開業に至ります。その名を確固たるものにした今なお、「レベルをあげるために毎日が戦い」とパンづくりへ情熱は止みません。決して手軽な値段ではない商品ですが、「一度は食べてみたい」という憧れの出会いから「ここのパンしか食べられなくなった」と納得の価値を届けています。
「医食同源の考えに行き着きました。身体にいい素材を使って手間も時間も惜しまず正しい工程でつくるといいものが生まれる、理に適っているんです。食べて健康になるおいしいパンをつくってお届けしたい、言葉にすればシンプルな目標ですがこれに尽きます」
職人としての技術、それを裏打ちする科学的な見聞、人生哲学を吸収しようと、ラボではたくさんのお弟子さんが修行に励んでいます。志賀シェフのパンづくりへの妥協なき姿勢は、日々後継されています。自身も毎日21時から朝方まで夜を徹してラボにてパンづくり。昼夜逆転の生活が続きます。日中はルーテインとしている束の間の読書とランニング、そして食事と睡眠時間に充てています。
「若い頃は寝ずに働くのもまったく苦になりませんでしたが、今は無理ですね(笑)。理想のパンをつくるためにできることは全部やり尽くしたいので、時間は足りないくらい。パンづくりにとことん集中できる今の生活、いやじゃないですよ」
「もともとウチの店のテーマは『ゴキゲン』、美味しさといっしょに元気をお客さんにお届けしようと。でもリニュアールを機に『大人のまち三宿』を意識してシックでクールな雰囲気をスタッフ一同目指したものの、どうしても僕たち『ゴキゲン』感がでちゃうみたいです」
2018年に三宿で開業、看板のローストビーフと惣菜メニューに特化して昨年11月にリニューアルオープンしたとびきりおしゃれなデリ「サーカス」。その小さな店の前に夕方にはママチャリがずらりと並びます。「こないだの美味しかった。今日は買わないけれど、またね」、わざわざそんな一声をかけて通り過ぎるお客さんも。明るくさわやかな高橋遼店長と気さくなスタッフたちが笑顔で出迎えてくれる、ほどよい高級感と昔ながらのお店のような温かみが感じられる店です。
横浜育ちの高橋店長は学生時代のアルバイトで結婚式場で接客業を経験、人の幸せに携わる喜びと接客のやりがいからウエディングやパーティなどイベントプロデュースを手掛ける企業に就職。そのパーティーフードを扱う飲食部門「サーカス」の店長を任されました。笑顔や感動を届ける舞台が、イベントという限られた空間から三宿のまちに移りました。
目指すは「三宿のまちで愛され続ける惣菜屋さん」になること。「食卓にあと一品足したい」という働くママや「今日はお客さんが来るからおもてなしがしたい」という方、三宿で暮らすさまざまな人々のニーズに応えていきたいと、店頭販売を中心にデリバリーやケータリングで 「サーカス」の味をお届けしています。
ほどちかい渋谷のデパ地下の華やかな惣菜を選ぶようなワクワク感と、小さいお子さんからご高齢の方まで毎日安心して食べてもらえる品質のよさを追求。管理栄養士が監修する身体にいい素材で保存料、着色料は一切使用せず調理しています。センスのよい彩りの豊かさと身体にやさしい味わいが多くのお客さんの心をとらえています。たとえ自信のある商品もお客さまに選ばれてこそ価値があるものと、およそ月に一度、売り上げを順位付けして最下位のメニューを交代させるなど、真剣勝負の商品開発を続けています。
「三宿のまちで認められるハードルは高いぶん、やりがいを感じています。味にも品質にもこだわられる方がとても多いので、食べていただければウチのこだわりに気づいていただけますから。『お祝いだから今日はサーカスにお願いしよう』なんて、ハレの日に声をかけてもらえる店にしたいですね。まちの皆さんの誕生日や記念日をお料理を通して毎年お祝いさせていただけたら最高です」
50年の伝統をつなぐ
新しく商売を始める人が多い三宿のまちで、永年その味を伝え続けている店もあります。創業50年、2代目橋本健さんが暖簾を守る「下馬いせや」がそのひとつ。老舗の風格と家族経営の温かさを持ち合わせる貴重な店です。大福やおはぎ、いなりずしやお赤飯を求めて多世代のお客さんが次々来店します。
「商店街ができて三宿が活気づきました。かっこいい店主の知り合いも増えて僕も楽しくなりましたよ」
変わらぬ味を頑固に守りながら、まちの変化を受け入れる店主の柔軟で優しい人柄も、この店がまちで慕われ続けている理由にちがいありません。商店街イベントになかなか参加協力ができないからと、清掃活動リーダーを買って出てまちの美化にも努めています。
お父さまが早朝から深夜まで働く姿を見て育ち、「自分にはとても同じことはできない」と家業を継ぐつもりはなく、和菓子は苦手、洋菓子が大好きだったという橋本さん。大学浪人を反対され、ならばとやむなく進学した製菓学校で全国から集まった本気で和菓子職人を目指す仲間と出会い、考えが変わりました。
「和菓子屋の息子でありながら、授業に出てくる基本的な和菓子用語も知らないものばかり。聞くに聞けず必死に調べました。でも遺伝なのか手先は器用みたくて和菓子づくりは上手で(笑)。せっかくの家業があるのにもったいない、和菓子の世界で生きていこうと決意しました」
卒業後、老舗の和洋菓子店で6年間修行し自店へ。お父さまのレシピを引き継ぎ伝統の味を守りながら新たな商品開発も進めました。以来25年、変わらぬモットーは「正直であること」。こだわり抜いた材料で、ひとつひとつ手作りを続けています。変わらぬ味を生み出すために、目の前の材料と向き合い、気温や湿度で水の量、蒸し時間を職人の勘で変化させます。美味しく食べてほしいから、「今日中に食べれる分だけ買ってくださいね」がお決まりの声かけです。
「ウチはいわゆる創作和菓子の店ではなく、団子屋さん。シンプルな商品だからこそ、材料のこだわりで勝負です。『安心して子どもに食べさせられるものを探していたんです』と言ってくださる子連れのファミー層のお客さんも年々増えてきて。嬉しいですね。駅前だったらもっと売り上げが上がるかな、とか、大ヒット商品がつくれないかな、なんて思った時期もありましたが、今はこうして毎日『美味しかった』って声を聞けることが一番のやりがいです」
三宿のこれからが楽しみ
間中さんは商店街発足の旗振り役、商店会長となって仲間とともに商店街振興とまちづくりに奔走してきました。点であった「店」を商店街組織という「面」にしたことで商業地としてのまとまりはもとより、人と人のつながりを生み、まちを思う商人の心を掘り起こしました。街路灯の建設やベンチの設置、地域イベントの開催や地域貢献活動などを通して「三宿四二〇商店会」は今ではしっかりまちの顔に。「世田谷パン祭り」のように全国から注目される大イベントも育てあげています。
「知り合いができて挨拶があって立ち話がある、そんなつながりのあるまちになってきたと感じています。スタート地点に立てたというところでしょうか。商店街エリアに世田谷公園やものづくり学校があるという独特の商環境もウチならでは。まちとの調和を大事にしながら、まちの価値を高められるようなお店を増やしたいと思います」