地域に根づく心地よさ
隠れ家的な店構えが印象的な植田圭治さんが営む「アマンジヲ ヘアサロン」、その屋号は「穏やかな魂」「平和なこころ」を意味するインドネシアのバリ島の言葉から。日常を離れてゆったり心地よく施術のひとときを過ごしてほしい、とマンツーマンの空間でお客さんをお迎えしています。早さ、安さ、手軽さをウリとする美容室も増えるなか、その対極のニーズにしっかり応えてくれるサロンです。
植田さんは全国転勤の多いサラリーマン家庭で育ち、岡山にある理系の大学に進学し情報工学を専攻していたという意外な経歴の持ち主。
「講義を聞いているとすぐ寝ちゃう、これは道を間違えたなと(笑)。自分の将来を見つめ直し、『お店屋さん』になりたかった子ども時分の夢に挑戦しようと決心しました。美容師を選んだのはかっこいいと思ったからかな(笑)」
大学を中退して上京、バイトで生計を立てながら専門学校に入学、卒業後は12年間下北沢ほか3店の美容室でしっかり技術と美容師としてのあり方を学びました。独立を意識してから開業まで、2年もの月日を費やしたのは植田さんの誠実な人柄そのもの。育ててくれた前店のオーナーに率直に思いを伝え、自分についてくれていたお客さんにも迷惑を掛けないよう、また、同業の状況も調べて出店エリアを探すなか、縁があったのがこの山下でした。人のつながりを大事にする生き方が、また自然と次のつながりを生みだします。開業以来14年、口コミでお客さんが広がってくれました。
「商店街の人がお客さんにもなって応援してくれましたし、『いいお店よ』ってご自分のお客さんに紹介までしてくれたり。いっぱい助けてもらいました」
「髪のことならいつまでも話してしまう」という豊富な知識の持ち主、感性だけではない化学の理論に基づいた施術を信条にしています。数あるサロンのなかから自店を選んでくれたお客さんに腕も人柄も信頼され、末長いお付き合いが続くことが目標です。本物がわかるお客さんが多い土地柄、いいものを提供し続けることはその絶対条件です。鏡を見て「サラサラになった」と喜んでくれたり、ヘッドスパを受けながら「気持ちいい」と共感してくれたり、目の前のお客さんの素直な反応が嬉しく、やりがいになっています。
「転勤族で育ったから地元というものに漠然と憧れがあったのかもしれません。自分を知る人たちに囲まれて、好きなことを仕事に出来ているいま、俯瞰的にみるとなかなか幸せな日常だなあって感じています」
優しい「山下時間」を生む
商店街入口に佇む水色の看板が目印の小さな小さな一軒家のカフェ、松浦さんご夫婦が切り盛りする「Cafe+barプチプラム」。今年で11年目を迎え、すっかり商店街風景の一部になっています。1階には可愛い手作りの焼き菓子が並び、2階はカフェスペース、「ごゆっくりどうぞ」の丁寧な声かけが染み入る優しいお店です。
前職は大手都市銀行マンだった松浦茂尚さん。「雇われるのではなく一国一城の主になってみたい」という自身の生き方への夢と「カフェをしたい」という奥さまの思いを重ね合わせ店を持つことを決意、自分たちでこなせるよう、小さな物件をあたって偶然出会ったのがここでした。
「お店を持てるワクワクがビクビクより優って突き進みましたが、まちの雰囲気さえも知らないままの出店、お客さんを待つ時間の長い日々が続き、商店街の方が心配してよく来てくれました。たまたまの山下、たまたまの駅前の立地、運が味方してくれたんですね」
松浦さんが一貫して心掛けていたのが、「初めてのビジネスを手掛ける素人である」と自覚して周囲の話を素直に聞くこと、まちや商店街の情報をキャッチし試行錯誤と柔軟な変化を厭わないこと。親身な気づきを与えてもらうためにも人間関係を大事に積み上げました。また、リスペクトも含めてプロとの勝負はすべきじゃないと決めたことも方針のひとつ、近所の店のメニューとバッティングしないよう配慮しました。
「今でこそ『山下らしい店』なんてよく言っていただけますが、皆さんのリクエストやアドバイスが店の雰囲気を育ててくれたと思っています。最初はちょっと渋いバーを意識して、席料もいただき、カクテルをシャカシャカ振っていました。『ここはバーにしては可愛くて健全すぎるよ(笑)』と言われたときは、まさに目からウロコでした」
当初期間限定で提供していた好評のタコライスが今は人気の看板メニュー。どれも野菜をたっぷり添えた彩りキレイな4種の定番メニューに季節限定メニュー、デザートも含めセンスのよさと手作りの温かさが光ります。
「『おいしかった』って言葉が染み入ります。アーティストがライブで何千人のお客さんを幸せにするように、僕たちはこの小さなお店の目の前のお客さんに喜んでいただけている。もちろん規模は負けるけど(笑)、やりがいは同じかなって思うんです」
ここにしかない品を届ける
大量生産、大量消費の脱却が社会全体で模索されるなか、モノを大事にすることの大切さ、豊かさを商品の魅力で改めて気づかせてくれる物販店に出会えます。
そのひとつ、「エルオクロック」は1960〜70年代のカジュアルビンテージ時計を扱う希少な専門店です。オーナーの秋山直人さんによって修理、手を加えられた「役目を終えたなつかしいゼンマイ式時計」が「洗練された世界にひとつだけの時計」に生まれ変わり、新たな持ち主に届けられています。
時計販売店の修理部門で働いていた秋山さん。「モノを直す」ことの価値は二の次とされ、「モノをたくさん売る」ことが評価される売上ありきの商売のあり方に疑問を持つように。「自分の納得がいく仕事で食べていきたい」と思い立ち、当時の住まいも近く、文化への意識、感度の高い人たちが集まる気風が気に入っていた山下エリアで物件を探しました。路地裏の小さな物件からスタート、「山下でやっていく」という決意のもと数年前にはメイン通りに移転しました。
「便利さや目新しさを追求するだけの社会、時代からの変化を感じています。電子機能搭載のスマートウォッチはあれど、別の価値観も生まれ自分らしいファッション性を求める方が増え、改めてビンテージ時計のよさに気づいてくれたのでしょう。ビンテージ時計は在庫の限れたものですから、より多くの時計を直せるようスキルをあげて、たくさんの時計を復刻させたいと思っています」
インターネット販売のおかげで、遠く海外のお客さんからの発注も少なくありません。「東京で時計屋を営む日本人が直す時計」ということも、信用され、喜ばれる理由だそう。とはいえ、やはり主なお客さんは地元や近隣の方です。移転前は近所の占い師を招いて占い教室をしたり、最近は古着好きの友人を招いて蚤の市を開催したり、と秋山さん自身が楽しみながら幅広い人に店を知っていただく工夫もしています。
どこにでもあるものではない商品のラインナップを頼って、映画や雑誌のスタイリストさんが来店、商品の提供協力を求められることも。
「映画の内容やシーンの説明を受けてどんな時計が合うかアドバイスを求められます。『僕が意見を言っていいのかな』と思いながらも新鮮な経験させていただいてます。まさか有名映画のエンドロールに自分の屋号が流れる日が来るとは。頑張ってきてよかったです」
「器を持ったときのこの感じ、職人さんの手そのものなんですよ」
店主の和田明子さんに添えられた言葉でその和食器はさらに輝きます。もうひとつの貴重な物販店、和食器専門店「うつわのわ田」に美しく並べられた和食器は、ここにしかない一期一会の出会いとなる希少なものでありながら、触れたくなる温かみのあるものばかり。「毎日の食卓が心豊かになる和食器をお届けしたい」という和田さんのまっすぐな思い、そしてそれぞれの器に遠く離れた窯元の職人さんたちのモノづくりへの情熱が息づいています。
長年アパレル業界で働いていた和田さん。ご夫婦揃って大好きな沖縄で出会った焼き物「やちむん」ヘの感動が自身の生き方さえも変えることに。「こんなにステキなものをもっとたくさんの人に届けたい」、その強い思いは和食器店を営むことを決意させました。つてもまったくないなか持ち前のバイタリティで日本各地の窯元を訪ね歩くところからのスタート、精一杯の熱意と誠意で仕入れをお願いしました。
「都会で忙しく働くなか、人間らしい感受性を味わいたくなったのだと思います。ひとつのモノを大切にしたい、目の前の人に喜びを届けたい、キャリアや年齢を重ねて自分の行き着いた価値観が和食器に出会わせてくれたのかも。ひとつの和食器に込められた土のパワー、土地の魅力、伝統文化、窯元の歴史や由来、その奥深さに知的好奇心がどんどん湧いてきます」
この春で開店3周年を迎えました。住まいも世田谷線沿い、人が気さくでのんびりした雰囲気が大好きな山下で大好きな和食器に囲まれて商う日々、まちに生きている空気感が心地いいそうです。下校帰りの小学生とのおしゃべりも日課、ふらりと入りやすくて、買わなくても気兼ねなく顔を出してもらえる開放的な「商店街の茶碗屋さん」を体現しています。
「先日、若い男の子がじっくり商品を選んでいました。新入社員とのこと、一人暮らしなのかな、『生まれて初めて自分で和食器を買います』ってニッコリ。若いのに心豊かな生活を送っているんだろうなあって感激しちゃいました」
ここでずっとお客さんと一緒に歳を取っていきたい、長野県にある大好きな民藝店の90歳のおばあちゃんが目標、現役で目利きの仕入れをする姿に憧れています。
「丹精込めてつくってもらったいいモノをきちんと全部売ってお客さんに喜んでいただけるかが私の腕の見せどころ。何を買いつけようか、店内のディスプレイはどうしようか、ああしたい、こうしたい、寝ても覚めても頭のなかは和食器のことばかりです(笑)」
店主の商いへのあふれる思いがまちを輝かせる
それぞれの商いに忙しい毎日、皆で顔を合わす機会は少ないものの、自身の商いへの静かな熱い情熱と山下を愛する気持ちでつながっています。商店街理事長の三木さん(写真左から2人目)も若手の頑張りに目を細めています。
「若くとも自分の商売に誇りを持っている商店主が自然と集まってくれるのが嬉しくてね。彼らがいるから山下のこれからが楽しみで仕方ないんです」
商店街の広報担当として長年活躍する植田さん、商店街の回遊を生む情報発信の大切さを痛感しています。自分のお店に来た人が他の店についでに寄っていただくことでその店の良さを知ってもらいたい、そしてその逆もしかりと考えます。店が「点」なら商店街は「面」。「面」で人を呼べるだけの粒ぞろいの「点」が山下にはあると自負しています。
「広報の取材であちこちのお店を回りますが、皆さんの自店のプロデュース力、工夫がすごいなって勉強になります。例えばエルオクロックさんはビンテージ時計といっしょにお知り合いのつながりでアンティークカメラをラインナップしその世界観を高めています。接骨院の「パレード」さんは整体の施術とキックボクシングの指導の組み合わせで幅広いファンを広げています。こうして『ここにしかない店』がたくさん増えて、互いに商売でお客さんを引き寄せていくことこそが商店街の活性化だと思っています」