商売と商店街活動と
「本職と商店街活動を両輪でこなす毎日です。時間的には後者に比重が傾いているかもですね」
そう苦笑しながら話すのは、編集デザイン事務所「 (株)紙魚(しみ)書房」を営む宗田薫さん、5年前から商店街理事長の顔も持ちます。祖師谷西通り沿いの飲食店や物販店と軒を連ねる小さな路面店が宗田さんの仕事場です。日々PCに向かい編集作業しながらも「留守」看板を下げて商店街の店々に出掛けることも少なくありません。お隣の上田印房の上田雅典さんは商店街事務局長、店前の立ち話での打合せもは日常の風景です。
「我ながら切り替えと集中力に自信はありましたが、さらに同時進行で2つのことを考えることが大得意になりました(笑)」
風変わりな屋号の由来はご自身が小さな頃からずっと「本の虫」だからだそう。出版社、編集プロダクション、フリーのライターとその道の業界にずっと身を置くなか、40歳を前にした一時の心変わりが商店街との縁を生みました。
「20代よりずっと出版社、編集プロダクション、フリー編集者・ライターとしてやってきましたが、出版編集の現場は40歳までが中心。世代交代が目前に迫ってきていたので、地元で店でもやってみようかと、とりあえずクリーニングの代理店をやってみたんです」
生まれも育ちも結婚後も子育てもずっと祖師ヶ谷大蔵周辺在住、地元への思いもひとしおです。人から話を引き出すルポライター職が得意だったという宗田さん、取材現場で培ってきたコミュニケーション力を生かす舞台が商店街へと変わりました。いち商人としてお客さんや商店主とふれあうなか、自然と自身の関心は商店街へ、自分が持つスキルを活かして商店街のよさをもっと発信することが出来るのではないか、と思うように。情熱の持てない仕事がうまくいくわけがないことに気づかされ、取次店をやめて現事務所を立ち上げました。ちょうど近隣3商店街がウルトラマン商店街として動き始めた頃です。
©円谷プロ
「ウルトラマンとタッグを組ませてもらえるなんてすごいことです。マスコミの端っこで生きてきた人間としてのマインドあり、地元愛あり、そしてウルトラマン愛ありでウルトラマンを活用してもっとできることがあるんじゃないかという思いも大きくなりました。気付けば口を出し、手も出して商店街活動にどっぷり。そうして現在に至ります(笑)」
永年作家のアシスタント業も続けながら、デザイン、原稿製作から入稿までの編集業務を請け負っています。商店主や地域団体から依頼されたポスターやチラシやグッズ、名刺作成など「忙しくて手が回らない」「インターネット印刷の入稿が難しい」などのまちの「お困りごと」にきめ細やかに対応しています。
「芸術作品づくりではないので、こだわりや自分の意見は二の次です。お客さんに求められたことを忠実に再現してできるだけ早く、できるだけ安く納品してさしあげることが身近なまちのデザイン事務所としての役割かなと思っています」
同業との共存共栄を
物販店や飲食店を商店街構成業種の定番とするならば、異業種でありながら昨今整体マッサージ分野の店舗をみない商店街はありません。
「日本はここ10年でうちの同業が130%に増えたそうです。祖師ヶ谷大蔵のエリアに限れば200%です。それだけニーズのある分野なのだと思います。患者さんの立場で見ればよりどりみどり。患者さんを取り合うのではなく、我々は一枚岩となって「面」で宣伝していけたらと考えています」
そう話すのはくじら堂祖師谷北口整骨院にて施術と運営統括を担う土岐昭次さん。都内に整骨院をチェーン展開をするグループの一社員でありながら、祖師谷をこよなく愛し、自店のみならず同業の共存共栄を模索、その熱い思いから商店街の理事にも就任した異色の人材です。
土岐さんの実家は居酒屋、子ども時代は八百屋を営み、商売をする土地ヘの感謝、人のつながりの大切さは自然と育まれました。実家を継ぐべく24歳まではなんとなく料理の道へ。どうしても夢中になれず新たな道をさがすなか、子どものころの記憶を辿ると、その道がほわっと浮かんできたそうです。
「3兄弟だったのですが僕だけ飽きずに祖母の肩もみや背中を押していました。1番上手だね、と褒められるのが嬉しくて。子ども心にやりがいを感じていたんですね」
一念発起し専門学校で学び、同グループへ就職。他店舗で勤務後祖師ヶ谷大蔵へ異動して16年が経ちました。自称「人見知り」だけれど「人が大好き」。技術や知識は時間をかけて身に付けていく当たり前のもの、「人」の部分で患者さんの状態をよくして、喜んでいただくことができるかが施術者の腕の見せどころだと考えます。
「整骨、マッサージ、鍼灸、カイロプラクティックなど幅広い業界ですが、『ウチの技術が本物』っていう考え方は少し違うのかなと想っています。それぞれがいいパフォーマンスをして選ぶのは患者さん。だから100通りの施術者がいていいんです。いつか祖師谷のこの業種の店の特徴を『治療系』とか『リラクゼーション系』とかチャート表にしてわかりやすくお伝えできたらいいなと思っています。互いの店のよさを宣伝して患者さんをマッチングするような関係をつくりたいです」
夢は同業種が祖師谷の商店街のウリのひとつになること。「祖師谷に行けば身体の調子を整えてもらえる」と遠くからの患者さんも来てもらえるようになれば、同業種がまちのにぎわいづくりに貢献できるようになると考えています。
「ここが第2の故郷だと思うようになりました。祖師谷から離れたくないので家族会議を重ねて自宅もこちら方面に引っ越しちゃいました(笑)。もしもですよ、宝くじが当たって一生働かなくてよくなっても、僕100円だけいただいてこの仕事を続けています。『先生を頼ってよかった』、『先生の顔をみてほっとした』そんな言葉をかけていただけて仕事もさせていただけるなんて幸せです。コロナ禍の厳しい時代ですが患者さんにこちらが助けていただいています。このまちで患者さんと一緒に歳を重ねていきたいです」
まちにponoを届けたい
祖師谷メイン通り中程にこの3月にオープンしたpono、ジューススタンドとプライベートリラクゼーションサロンを併設する、これまで商店街にはなかったコンセプトとテイストを持つ店です。オーナーでありセラピストである山本利奈さんは九州出身、子育て真っ最中のバイタリティあふれるお母さんです。高校までの部活動は柔道というスポーツマン、その経験から鍼灸やスポーツマッサージの技術を学ぶなか、「病気手前の未病の段階で心と身体を癒やす」というリラクゼーションの分野に次第に惹かれ、方向転換しました。前職の大手スパでは麻布十番店で高いレベルを求められるなか技術を磨き、その後グアム店でインストラクターとして現地のチャモロ人のセラピストを指導、「なんとなくの英会話力」と「根性」で奮闘してきました。
「仕事って人生の長い時間を占めるもの。大変でも『やりがい』を感じて生きたい、お金のためになんとなくで働くことは私には出来ないと思いました。飲食店を経営する両親の背中もあると想います。私も『自慢のママ』になりたいという気持ちをつねに持っていますね」
山本さんが直面したのが出産後の厳しい現実。保育園が見つからない、技術はあれど就職先がみつかない、コロナ禍も重なり、復職する目途が立ちませんでした。
「もともと独立心も強いし、人任せも好きじゃなかった。仕事から離れていると腕も落ちてしまう。ならば思い切って店を持とうと決めました。たまたま近くに住んでいて、ずっと1本道の商店街に憧れていたので祖師谷の北側で物件を探しました」
店名のponoは大好きなハワイで伝わる教え、健康や自然、精神が調和の取れた状態を表します。自身の施術でリラックスをして、疲れや悩みや妬みや負のものを少しでも和らげたいという思いを込めています。また、身体の内からも健康を提供したいという思いから無農薬の素材・無添加調合にこだわったジューススタンドを併設、隠れ家的なサロンと対照的に「まち」の人が気軽に立ち寄れる開かれた場を演出しています。コップのロゴはスタッフのアイデアで手書きをすることに。温かさも届けています。
「基本的にジューススタンドはスタッフに任せているですが、やはり店は『人』が看板なんですね。私がたまに店に立つと『あれっ、いつものお姉さんはいないの?』と残念そうにお客さんに聞かれます(笑)気に掛けていただける関係ができていることが嬉しいです」
スタッフと共有して心掛けていることはお客さまを残念な気持ちで帰らせないこと。サロンでは一度会ったお客さまの情報や身体の状態をしっかり把握してカルテに記録を残します。同じことを聞いてしまい、がっかりさせたくないという思いから。また、ジューススタンドのサービスは臨機応変に。雨天時の割引サービスは急に晴れてしまっても対応する、2人で1つのジュースの注文なら小さいコップをつけて差し上げる。小さな心遣いでお客さんの信頼を積み重ねる努力を欠かしません。
「まちに根差していきたいんです。人の気持ちのなかで暮らし、お金の計算だけではない商いを続けていきたいと思っています。介護をされている方にマッサージの仕方を教えてさしあげたり、ジュースのレシピをお伝えしたり、コロナ禍が明けたら商店街イベントでウチらしいPRをしたいです」
商店街 勝負はこれから
宗田理事長の眼差しはつねに未来に向かっています。だからこそ、自身の役割は次への「地ならし」。昔ながらの商店街のよさを知る自分たちの「思い」が「思い入れ」となってしまい、その変化を阻むことはしたくない。よそから現れた若い商店主が自由にはっちゃけた商店街活動を起案してくる、それをドキドキしながら見守りつつ応援して次世代が育ち世代交代を繰り返す、そんな組織にしていきたいと考えています。
「お客さまの声に耳を傾けつつも、我々自身がどんな商店街にしていきたいか、という幹となるコンセプトを詰めることが大事です。ただ、ウルトラマンがシンボルですので『平和と夢』のある商店街でなければいけないと思います。その上でどんな演出をして発信していくか、若い人の意見をどんどん聞いていきたい。幹さえしっかり残れば枝葉はいかようにも育っていくと思います」
「賑やかな商店街とはいえ、書店、文具店などなど足りない業種も増えているのが現実です。まち全体を考えて衣食住のニーズを満たす業種構成を考えていかなければならないと思います。『人がたくさん通る』だけの商店街にならぬよう、バトンを渡すときまで少し頑張ります(笑)」